スペシャルティケミカルおよび素材産業は今、大きな転換点に差し掛かっています。従来の成長エンジンであった差別化製品と健全な利益率は、もはや安定的な競争優位を保証するものではありません。製品のコモディティ化が急速に進む近年、特許の切れた製品や模倣可能な製造技術は、グローバル市場における価格競争を一層激化させています。
このような状況下で突破口となりうるのが、AIやマテリアルズインフォマティクス(MI)をはじめとする先進テクノロジーです。これらの技術は、従来の研究開発戦略を再定義し、素材企業が成長の限界から脱却するための道筋を描く現実的な選択肢となりつつあります。
コモディティ化の加速が招く収益率の低下
スペシャルティとされてきた製品群が、いつの間にかコモディティとして扱われ始めている現象は、2010年代後半頃から明確に進行してきました。特に以下の3つの要因が、業界構造に大きな変化をもたらしています。
- グローバル競争の激化:製造技術の普及により、化学製品の模倣が容易となり、低コスト地域のメーカーが類似品を安価に供給する構図が定着しつつあります。加えて、価格・仕様情報の可視化が進んだことで、顧客による製品比較と価格主導のスイッチングが加速し、価格競争が一層激化しています。
- 特許の期限切れ:特許は一定期間、製品に独占的な地位を与えますが、その期限が切れることで後発メーカーの参入障壁が下がります。これらの企業は、新製品の研究開発コストを負担することなく、低価格で市場に参入できるため、価格競争がさらに激化します。
- 購買判断の変化:競争の激しい市場や景気低迷時には、顧客側にもコスト削減圧力がかかります。製品間の差別化が見えにくくなると、ブランドやわずかな性能差に対してプレミアムを支払う意欲が低下します。その結果、購買判断は性能や技術革新を重視する技術部門・R&D部門から、コストと仕様を重視する調達部門へと移行しつつあります。
この結果、ブランド力や品質の高さだけでは価格競争力を維持できない状況が常態化し、「差別化」戦略の再設計が避けられなくなっています。
コモディティ化が価格に与える影響を示す例として、ポリエチレンテレフタレート(PET)の価格推移を見てみましょう。生産量がそれほど多くなかった1995年頃をピークに、価格は急激に下落しています。

The evolution of polyethylene terephthalate (PET). 出典: McKinsey & Company 2016.
求められるR&D戦略の再構築:優位性の維持・成長のために
日本の素材メーカーは、スペシャルティ分野で世界的に高い競争力を築いてきました。しかし、コモディティ化が急速に進む現代の市場環境では、差別化されたポートフォリオを構築・維持することが難しくなりつつあります。これまでの成功モデルの外に成長の源泉を見出す必要があるのです。
スペシャルティは性能による差別化に依存し、専門的な技術サービス、カスタマイズ、高速なR&D反復サイクルが求められます。競争力のある製品ポートフォリオを市場ニーズに応じて、これまでにない機敏さと柔軟性で構築・維持していくためには、時代に即したR&D戦略の変革が不可欠です。
こうした変革には、場合によっては抜本的な組織再編、R&D投資の増強、さらには企業文化の転換も伴います。また、既存のR&D投資を高収益なスペシャルティ分野や新たな技術領域へ再配分することも検討すべきでしょう。
マテリアルズインフォマティクス──次世代R&Dへの移行の鍵を握るテクノロジー
マテリアルズインフォマティクス(MI: Materials Informatics)として知られる、材料科学および化学の研究開発におけるデジタル戦略と技術は、加速が迫られる開発スピードに対応し、スペシャルティ製品のポートフォリオを守るうえで不可欠です。
業界の先進企業は、イノベーションサイクルを大幅に短縮するために、自動化やデジタル技術の導入を積極的に進めています。一方で、従来のプロセスで長年成功してきた大企業の中には、成功モデルが足枷となり、デジタル変革に遅れをとっている企業もあります。
MIの強みは、材料開発における「スピード」「柔軟性」「精度」を同時に実現できる点にあります。さらに、MIの導入は、研究開発の属人性からの脱却や、ナレッジの蓄積・共有の仕組み化にも寄与します。こうしたデータ主導型のアプローチは、素材開発における組織的な競争力を底上げする土台にもなり得ます。
マテリアルズインフォマティクス(MI)は、材料探索と製品開発における現代的アプローチであり、データ駆動型戦略と先進的な計算技術に基づいています。MIは材料科学、データサイエンス、科学計算の要素を統合し、より速く、より優れた、より効率的な新材料開発を可能にします。 |
ポートフォリオ転換を支える強力な推進力としてのAI
人工知能(AI)は、マテリアルズインフォマティクスにおける近代化を実現する中核的な技術です。AIはすでに科学や工学の分野に大きな影響を与えており、製品ポートフォリオの転換を推進する極めて強力な手段であることが実証されています。
AIの変革力は材料イノベーションのライフサイクル全体で顕著になりつつあり、研究開発チームの働き方や成果の出し方を根本から変えています。
- 初期探索:AI主導のモデルにより、材料特性の予測や候補材料のバーチャルスクリーニングが可能となり、従来の試行錯誤的アプローチへの依存が大幅に削減されています。
- 開発:デジタルツインや物理ベースAIの活用により、さまざまな機械的・熱的・化学的条件での性能評価を仮想環境で実施可能となり、材料最適化のスピードが向上しています。
- スケールアップ:実験室およびパイロットデータに基づく予測分析により、開発初期段階でのプロセスパラメータの最適化が可能となり、失敗率や製造バラツキの低減に寄与しています。
AIの戦略的導入は、あらゆるイノベーションフェーズにおいて材料開発の変革と加速を実現します。
考えるべき問い
複雑化するコモディティおよびスペシャルティケミカル・素材市場で成功するには、単なる「AIの導入」だけでは不十分です。AI技術と製品特性のミスマッチは、導入の失敗や期待外れのROI(投資対効果)につながる可能性があります。
以下は、「データ駆動の戦略的アクションプラン」を策定する際の出発点となる問いです。
- コモディティ化のリスクが最も高い製品群はどれか?
- 自社の製品ポートフォリオは競合と比べてどうか?
- 市場において満たされていないニーズはどこにあるか?
- デジタルシステムは、製品性能の向上や技術サービスの改善によって、製品価値の向上にどう貢献できるか?
- 自社の研究開発プロセスは、顧客ニーズの変化に対応できる構造になっているか?
- 変革のスピードを妨げているレガシーシステムは何か?
- スペシャルティ分野の成長に向けて、研究開発に十分な資金と人材を投資しているか?
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