デジタルトランスフォーメーションは広く認識され、どこの役員会でも話題のキャッチフレーズとなりました。しかし、AIの台頭に伴い変革の必要性への認識が広がる一方で、多くの企業にとって具体的にそれが何を意味するのか、どこから始めるべきか、どのような進め方が自社にとって最適なのか、そしてどのような利益が期待できるかが明確でないことがよくあります。
「デジタル化」、つまり既存のプロセスにデジタルツールや技術(新しいSaaS製品など)を重ねることは、しばしば変革と誤解されます。デジタル化は即時的な価値を提供することができますので、一時的には価値が増しますが、すぐに頭打ちになります。一方で、技術だけでなくプロセスや人々に関する意図的な選択と投資を通じて構築された強力な「デジタルDNA」を持つ企業のイノベーションを起こす力と適応力は驚異的です。今日の競争の激しいビジネス環境では、この選択が市場での勝ち組と負け組を分ける可能性があります(以下の例を参照)。
デジタルトランスフォーメーションの定義
デジタルトランスフォーメーションとは、組織がデジタル成熟度を向上させつつ、一貫してビジネス価値を提供するプロセスを加速させることです。ビジネスに実質的な変革をもたらすには、イノベーションによって新たな可能性を見つけ、企業が『デジタルDNA』を成長させる必要があります。これを支えるのは、シミュレーション、画像処理、人工知能、機械学習といった強力な計算ツールです。
デジタルトランスフォーメーションには、単に技術を導入するだけではなく、包括的な戦略が不可欠です。既存のワークフローに技術を導入するだけなら、比較的容易に簡単に取り入れることができ、変化への適応もさほど困難ではありません。こうした試みは、研究開発に携わる専門家の作業効率向上には役立ちます。しかし、本来、デジタルトランスフォーメーションに期待すべき真の価値は、ビジネスに大きな影響を与える科学的発見を促進することにあります。
デジタルトランスフォーメーションの道のりで組織の価値を最大化するためには、デジタル技術に加えて、人々のマインドセット、スキル、行動、新しいプロセス、および新しい運営方法や顧客対応のビジネスモデルにも変革を広げる必要があります。例えるなら、人々に金槌やノコギリを提供するだけでは、大工の仕事をすることは難しいですが、建築理論などを合わせて伝授すれば、効果的な仕事ができる、ということです。
デジタル戦略の教訓: 3つの書店の物語
科学のビジネスは複雑です。専門家たちは、何十年もの直感と人間中心の発見方法に基づいて方法論を作り上げてきました。生データは部分的にしか取得されず、一部は非デジタル形式であるため、活用や再解釈が困難です。変革を成し遂げるには、あまりにも長い時間と高額な費用がかかるように見えることがあります。そのため既存のプロセスにデジタル技術を重ねるだけで、基盤となる運営方法やビジネスモデルを変えずに漸進的な変化を加える誘惑に駆られるかもしれませんが、それではわずかな改善しか得られず、現代の競争の激しい環境では企業の競争力を維持することはできません。
安全かつ早期にROIを得るためには、現在のプロセスを最適化することが有効です。新しいことに挑戦するのはリスクが高く、通常時間がかかるからです。また、高いレベルの投資と経営陣からの継続的な支援が必要となります。しかし、顧客の期待が変化している場合や、競合他社が先行している場合、最適化だけでは十分な対応が取れず、追加の戦略が必要となるかもしれません。
例として、3つの書店の物語を挙げてみましょう。1995年、World Wide Webはまだ初期段階にあり、ビジネスの新旧の方法間で激しい競争が始まろうとしていました。
- Borders: 当時24年の歴史を持っていた書店チェーンのBordersは、伝統的な実店舗と大量の書籍在庫を保有する非デジタル戦略を取っていました。しかし、変化する顧客の行動に迅速に対応できず、2007年から赤字を出し始め、2011年には廃業に追い込まれました。
- Barnes & Noble: 既存の実店舗モデルにデジタル技術を取り入れて運営およびビジネスモデルを最適化しました。これにより一時的に持ちこたえることができましたが、主にオンラインの競合他社に徐々に市場シェアを奪われ、2019年にはヘッジファンドに買収されました。それ以降、彼らの主な目標はAmazonに対抗することとなりました。
- Amazon: Amazonは真のデジタルトランスフォーメーションを遂行しました。書籍を完全にインターネットで販売することで通信販売カタログを再構築し、実店舗では実現できないほどの大規模な品揃えと低価格を提供しました。オンライン販売の副産物である顧客データを利用して、パーソナライズされた体験を提供し、マーケティングおよび運営を改善しました。マーケティング戦略やオンラインストアの変更は、数年ではなく数時間または数日で実行でき、大きな利益をもたらしました。同社は革新的なデータを手に入れ、それを新しい形で利用する方法を発見しました。頻繁に新しい取り組みが行われ、成功したものもあれば、そうでないものもありましたが、すべてから貴重な教訓が得られました。現在Amazonは書籍販売の巨人であるだけでなく、その事業展開は、eコマース全般、電子機器、クラウドコンピューティング、エンターテインメント、ヘルスケアなどの分野に広がっています。
Bordersのデジタル戦略の欠如は、長期的には不利であることが明らかでしたが、これは今日さらに明白です。Barnes & Nobleのデジタル化戦略は、デジタル技術を既存の実店舗モデルに追加することで、短期的および中期的な価値を生み出しました。しかし、両社共に、ビジネスインサイトを取得し対応するフィードバックループが遅く、データの利用が不十分でした。迅速な対応が不可能、かつ失敗のコストが高いため、改革が制限されました。線形的に成長するROIでは、指数関数的に成長する競争相手に対抗することはできませんでした
貴社が属する業界でこれらの事例に相当するのはどの企業で、貴社はどの位置にいますか?
現在、多くの科学主導の企業は「デジタルネイティブ」ではありません。デジタルトランスフォーメーションを成功させるには、デジタルインフラ、データ、ツールなどの要素を企業の複数の事業部門や研究所で活用可能にすることが重要であり、成功の鍵はデジタルDNAの獲得にあります。これには、科学者が自らのイニシアティブを用いて、実験、学習、適応を促進し、複雑な研究問題を解決するマインドセットやそれを可能にする組織の敏捷性も含まれます。
これが科学主導のビジネスにおける「真」のデジタルの価値です。リアルタイムデータに基づく洞察、迅速に行動する能力、そして低コストの失敗から迅速に学ぶ意欲が、迅速なイノベーションを促進し、最終的には卓越したビジネス的成功をもたらします。
リスクに対するバランスの取れたアプローチ
科学主導の企業にとって、BordersやBarnes & Nobleのように必要なリスクを取らないアプローチと、Amazonのように何年も利益を出さずに全力を尽くすアプローチの間に、最適なバランスがあります。当社は「応用デジタルイノベーションプロジェクト(Applied Digital Innovation projects)」と呼んでいます。これらのプロジェクトは、新しいデジタル能力(スキル、ソフトウェア技術、インフラ)を導入しながら高い価値を提供し、リスクとリターンのバランスを取りつつ、同時に組織により多くのデジタルDNAを注入し、将来の機動力とイノベーションを実現します。
当社の実績は、特殊材料、化学処方、地震解析など、すでに価値ある成果を持つ企業や研究所との協力から生まれています。最終成果に価値があることを知ることでビジネスリスクを軽減できますが、単にデータをデジタル形式に変換し、クエリや分析に適したAPIを開発するだけでは不十分です。そのような最適化は、科学プロセスの価値を10%から20%程度向上させるにとどまるかもしれません。
短期的で測定可能な利益のみでなく、潜在的な可能性を見据えた戦略を持つことが重要です。エンソートのアプローチは、各プロジェクトをそのビジネス分野のDNAを変えるための取り組みの機会として捉え、クライアントに伴走しDXを支援します。
まず、最も価値を生み出すワークフローを再設計する意図で検討し、データ品質を向上させたデジタルインフラを構築することから始めます。これにより、データを整理して二次分析や発見に活用できるようになります。例えば、専門家が手作業でデータ(シリコンチップの欠陥、医療画像、地震の特徴など)にラベルを付けたり特性を評価したりする代わりに、自動化ツールと技術を使用することで、より迅速に、一貫して、大規模に処理できます。その後、人を中心とした既存のプロセスやレガシー技術に基づくプロセスを再設計し、最新のデジタル技術と計算能力を活用して迅速なアクションに繋がる洞察を得ることを目指します。
科学者たちが思考の幅を拡大し、デジタル技術の能力をより深く理解することで、変革の利点がますます明らかになります。近い未来、シミュレーションが物理実験を置き換える可能性があります。深い理解は効果的なデジタル戦略を策定し、追求する価値のある新たなイノベーションの機会を明確にするのに役立ちます。進歩は一歩ずつ達成され、小さな成功の積み重ねが企業を変革するという長期的な目標に繋がります。その過程で、市場投入までの時間を短縮し、競争力を向上させ、収益を増加させることができます。
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